2008年09月26日

風倉匠と「リリパット王国舞踏会」(1)のこと

風倉匠と「リリパット王国舞踏会」(1)のこと
飯村隆彦

  風倉と知り会ったのは、多分,荻窪の陸橋の橋の下にあったヴァン映画研究所という,名前は立派だが、主に日大の映画科の卒業生が良く出入りしていた共同住宅、もっとも私や赤瀬側原平のように,日大とは全く関係のない人間もいて、風倉もその一人だった。1960年代の初期のことで、私は8ミリで映画を始めたばかりで、1962年に、「くず」(1)や「視姦について」(中西夏之との共作)(1)、Ai(Love)(音楽:オノ・ヨーコ)(1)などを作っていた。それぞれ短編の実験映画である。

  まだ、実験映画のジャンルの存在すら認知されていない時代で、アートにおいても、個人が映画を作るという発想すらなかった。8ミリももっぱら、アマチュア用に開発されたもので、アートのアの字もなかった。私はそれをいち早くアートのメディアとして使った。(私はアマチュア映画の中では,異色の大林宣彦や高林陽一らと一緒に上映したりしたから、いまでも飯村はアマチュア出身として「誤解」する批評家がいる。)

  当時の現代美術はアンフォルメルからネオダダに移って(もっとも日本では両者は混在した),新橋の内科画廊(1963年に、ここで初めての映像個展もやった)や読売アンデパンダンを舞台に、さらに街頭にもくりだして、ハイレッド・センターがハプニングやイベントを展開した。私は友人として、あるいは同伴者として,参加したり、記録したり(「DADA62」1962年作、という読売アンデパンダンのダダ的な記録映画もある)あるいは、ハイレッド・センターのひとり、中西夏之が主演し,彼の卵のオブジェを使った「ONAN」(1963)というフィクションの実験映画で、ブラッセル国際映画祭で特別賞をとった作品もある。

 
 こういう環境で、風倉に出会い、映画を作ることになったのも、必ずしも偶然とは言えないかもしれない。タイトルの「リリパット王国舞踏会」(1964)は実際に彼が行ったハプニングのタイトルから借りているが,私はそのハプニングを見ていない。私はもっぱら彼の剽軽な人柄にほれて、それと私が当時読んだフランスの詩人/画家、アンリ・ミショウの詩の中に出てくる「プリューム」氏にそっくりと勝手に思い込んで、その「プリューム」氏を映画にしようと思って、風倉に主演を頼んだものである。もっとも出来た映画はミショウの詩とも、あるいはリリパット王国の原作であるスウィフトの「ガリバー旅行記」とも,何の関係もない。シナリオといって書いたものはないが、アイデアはすべて私の創作で、この映画のために作り出した一種の短いイベント集である。むろん風倉が現場で即興的に演技した部分もある。それらを「K氏」(風倉の頭文字だが、カフカの『城』の主人公も『K氏』だった)のA,B,C,Dから不連続にアルファベットの1文字をとって、各章に中タイトルを入れた。「K氏 C」、「K氏F」、「K氏B」といった風に。イベントはごく日常的だが、どこかおかしい(異常である)といったものである。最初、犯罪者写真風に、風倉の顔写真の正面、横顔に、それと犯罪写真には無い背後(頭)もあったり、あるいは、背中のかゆいところに手がとどかず、そのかわりにカメラがその皮膚のディテールを顕微鏡のように見せる、あるいは、立ち小便した水の痕跡をクローズアップする,といった具合である。また新聞記事を何度も消しゴムで消そうとする行為と消えない文字のアップなど、日常性のなかにあってその延長でいながら、異常に見える行為と変質的なカメラの視線がある。

  風倉はこれらの行為をごくたんたんと気張りもせず、日常の行為のように演じてくれた。おそらく,演じるという意識なしに普通に行為したのである。特に印象に残っている行為のなかで、雨の降る住宅街の道で、通りがかりの男(赤瀬川原平)にいきなり腹をぶたれ,倒れる。次に再び同じ男とすれ違い,今度は逆に彼の腹をぶとうとするが,手をつかまれて,再び道にうずくまる。その時,彼の足は痙攣した。それが,自然と見えるほどに彼は役を演じきっていた。(私は当時の話題作、ワイダの「灰とダイアモンド」の中で、主人公のマチェックが最後にゴミ捨て場で銃で撃たれ,倒れるシーンが二重写しにあった)

  もう一つ、風倉の当たりのイベントに大きな袋に入って外界が見えないまま,動き回る作品がある。同じ作品がオノ・ヨーコにも「バッグ・ピース」(1964,草月アートセンター)というのがあり、私は風倉の作品を先にみているが、おそらく、風倉の方が早い。この袋を使ったイベントをビルの屋上でやった。風の強い日で、袋は大いにはためいたが、彼は袋の一部から、足を出して踏まえた。その様子もおかしかったが、さらにそばには,洗濯物が風に吹かれていた。その様子を見て、洗濯物と並んで、スチール製の干し竿に袋に入ったまま、彼はブランコしたので、まったくおかしかった。イベントが日常と化すことで、アートと日常の境界が見えなくなるばかりか, 私にとっては逆に(普通、そこではメディアは透明になって、見えなくなるのだが)、それを記録するフィルムというもひとつのアートを自覚させた。

  この映画について、大変好意的な批評を書いてくれたのは、風倉にも会ったことのあるナム・ジュン・パイクで、「この映画は世界で最初に作られた『コンセプチュアル』なフィルムであろう。ゆっくりとしているが、日本のアンダーグランドのミステリアスな人物、風倉の日常的な動作をはっきりと示している」と喝破したものだ。「最初の『コンセプチュアル』なフィルム」も嬉しいが、風倉をアーティストとして最初に認めたのは、ナム・ジュン・パイクであろう。(1‘)

  私は1966年にこの映画と他に数本の自作の実験映画を持って渡米した。
ニューヨークのシネマテークや近代美術館など、上映して回り,大きな反響があった。その一つに,アメリカ芸術協会のキュレータでもあるサム・マクエルフィッシュの批評が面白い。

  「飯村の『リリパット王国舞踏会』がアメリカ的感性に訴える作品である      ことは言うまでもない。同時に茶目っ気たっぷりのユーモアがある。(ここでの喜劇的要素は、1920年代のダダ/シュールレアリズムとこうした初期の実験的作品の先例をうけついで、マックス・セネットとチャーリー・チャプリンの古典をよくよく研究して生まれたものである)。」(2)

  と書いたのには驚いた。私が夢にも思いつかなかった「マックス・セネットとチャーリー・チャプリンの古典」を私の作品に読み取っていた。それまでも,その後もチャプリンは人並みに見ていた(より正確には見えていた)が、「よくよく研究」もしたことがなく、マックス・セネットは全く見てもいなかったからである。この点では彼の評価は外れているが、批評家とは作家の見ていない作品までも影響を読み取る能力を持つ職業である。この批評家にとって、「影響された作家」が「影響した作家」を見ているかどうかは問題ではない。彼が考える映画史における「影響」が問題になるだけである。しかし彼はここで「影響」という言葉は使っていず、「先例」と作家の「研究」の結果と言葉を選んでいる。後者については外れているが、前者について、「1920年代のダダ/シュールレアリズムとこうした初期の実験的作品の先例を」受けついでいたことは、それらの作品をそれまでに見たことはなかったが(日本に初めて多くのダダ/シュールレアリズム映画がフランス・シネマテークから入って、草月会館で上映されたのは1965年以降である)、映画史の本で十分に知っていたから、知識として「先例をうけ」ついでいたといえる。映画史上の「先例」である。私はそれらの本に載っていた写真から映画を「想像」した。

  そしてマクエルフィッシュはさらに作品を評価して、「そして一貫して、きわめて正確なまでに知的であり、この映画は1960年代初期の日本のアバンギャルド思想のかけがえのないパイオニアの成果として際立っている」(2)とまでいう。作家としてはこそばゆいまでに評価している。この1作品から、「1960年代初期の日本のアバンギャルド思想」まで見とおす深い読みを彗眼というべきだろうか。さらに「これは彼のもっとも受け入れられた作品で、ウイットと高い精神性とエネルギーにあふれ、分からないところもあるが、常に嬉しくも挑発的である」(2)と「分からないところも」正直に告白し、「嬉しくも挑発的である」という。その心情は信用していい。

  このような十分すぎるとも思える評価にもかかわらず、この作品はまだどこの美術館にも入っていない。実験映画のコレクションがアメリカでも、美術(ファイン・アート)に比べて、いまだに未開の領域にあり、その複製可能性から,過小評価されていることもあるが、写真の次は映画という業界の評価は遅々としている。

  私は風倉がなくなる1年まえに機会があって、大分に行った。ひとつは大分美術館にあるネオダダのコレクションを見るためと,運がよければ風倉に会って、長いこと失念している「リリパット王国舞踏会」のビデオを手渡すことだった。美術館では,十分とは言えないまでも、いくつかの懐かしい作品を見ることが出来た。しかし,初めて会う学芸員に私の撮ったネオダダに関連する映画作品を説明して、コレクションの可能性をうかがったが、全くその様子はなかった。一方、郊外に住んでいる風倉からも病気で会える状態ではないことを告げられた。私は手に持ったビデオを再び鞄に入れて失意のまま、東京にかえった。そして遅くなった詫び状といっしょにビデオを彼のもとに送った。彼が見てくれたかどうかはついに分からないままとなった。合掌。

2008年8月11日、ニューヨ−クにて。


1)「リリパット王国舞踏会」、「くず」(、「視姦について」、「Ai(Love)」など、これらの映画は、DVD「1960年代の実験映画」、飯村隆彦映像研究所、東京、2004年に収録されている。http://www.takaiimura.com/ から購入できます。
1‘)同上、DVDの裏表紙に記載。原文はパイクの筆者への手紙より。
2)「飯村隆彦映像作品論集」,飯村隆彦映像研究所、東京、2004年、サム・マクエルフィッシュ「飯村隆彦とのダンス『リリパット王国舞踏会』」、泰良千恵子/飯村隆彦訳、34-38頁。この作品論集も上記サイトで購入できます。

「あいだ」2008年8月20日、p28-30 no. 151 掲載,
posted by taka at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品
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