すでに、広島市現代美術館(7/8-20)で上映され、さらに日本で以下のスケージュールが予定されています。
・10/11,18,25 東北芸術工科大学
・11/21,22,23 横浜美術館
・11-12月 日本大学芸術学部
NYでも、ジャパンソサエティで11/14に上映と対談、飯村の出演が予定されています。http://www.japansociety.org/event_detail?eid=3a7180cc
Camera/Monitor/Frame(1976)
ジャパンソサエティ(11/14)
左から飯村、ビデオアーティスト/メアリー・ルシエ、キューレター/バーバラ・ロンドン
「ヴァイタル・シグナル 60年代ー70年代日米ビデオアート −芸術とテクノロジーの可能性−」左から飯村、ビデオアーティスト/メアリー・ルシエ、キューレター/バーバラ・ロンドン
アメリカと日本の初期ビデオアートをめぐるプログラム「ヴァイタル・シグナル」では、両国における60年代から70年代にかけての、メディアに関する重要な並行的展開に焦点を当てています。
ソニーによる初の一般向けビデオレコーダー「ポータパック」が60年代半ばに発売されてから、アーティスト、さらにそうでない人々も、この新技術を用いた探求と実験の豊かな時間に身を投じました。ビデオの先駆者たちはアメリカの両海岸、そして世界中の主要な都市に彼らの試みを支えるためのコミュニティを形成しました。この時期には知識の共有が重視され、さらに国際的な文化交流へ強い関心が存在していました。
ビデオの発祥地である日本は、とりわけ重要な位置を担いました。60年代から70年代にかけて日本とアメリカのアーティスト間では多くの交流がなされました。ニューヨーク在住の韓国人ナムジュン・パイクと東京在住のエンジニアである阿部修也のコラボレーションは、ビデオの美学としての展開に大きな示唆を与えました。日本とアメリカ両国のアーティストは、ビデオ信号によって操作されるパイク/阿部シンセサイザーからの影響を反映しました。ニューヨークのアーティスト、ジョーン・ジョナスによる初期のパフォーマンスは、彼女が日本を訪れた際に見た能の影響を強く示しています。飯村隆彦や久保田成子といった優れた日本のアーティストも、アメリカにやってきて広く展示活動を展開しました。こういった個別の交流の例に加え、二国間におけるビデオの発展には確かな平行性を見ることができ、とりわけテレビへの関与や、独立した社会批判としてのビデオの使用といった点において、コンセプトの親近性を見てとることができるでしょう。
ヴァイタル・シグナルは、横浜美術館、および日本のキュレーターや研究者たちと密接に連携する形で、エレクトロニック・アート・インターミックス(EAI)カタログ所収のアメリカ作品とともに、日本の初期ビデオ作品を紹介するものです。EAIは1971年にニューヨークに設立された非営利の芸術機関で、ビデオアートやメディアアートに関する指折りの国際的なリソースであり、ビデオアートをサポートし、配給するためのアメリカで最初の組織のうちの一つでした。本プログラムに含まれる多くのEAI作品は今回日本で初めて上映されるものであり、これらの作品を鑑賞する貴重な機会となることでしょう。
本企画「ヴァイタル・シグナル」は、これら上映機会に乏しかった、独創性に富んだ日本のビデオ作品を新たな観客へと届けるべく、アメリカ各地の会場にも巡回する予定です。このプログラムは、この新たな芸術形態をめぐる基本的な問題設定のもと、3つの大きなセクションに分かれています。本プログラムが、新しいメディアの黎明期における日米間のビデオアーティスト相互のやりとりに関するさらなる研究と関心を促すことを期待します。
なお、日本人作家によるカタログ付きDVD作品は、2009年に発行予定です。
ヴァイタル・シグナル」は足立アン(EAI)と松永真太郎(横浜美術館)が中心となってコーディネートし、キュレトリアルアドバイザーを阪本裕文(稚内北星学園大学)、神谷幸江(広島市現代美術館学芸担当課長)が担当しています。
プログラム詳細
上映形式:DVCAM/DVD
それぞれおよそ1時間の6プログラム
〇テクノロジー:新しい視覚言語
1.ビデオ言語論 シンセサイザーや画像プロセッサーを用いて独自性のあるイメージや作曲を導きだす、ビデオの技術的な可能性を開拓した最初期のビデオアートの諸例です。日本人グループであるCTG(コンピューター・テクニック・グループ)をはじめ、ゲイリー・ヒル、ナムジュン・パイクらは、ビデオの音と画像を形成するための電気シグナルを操作するビデオシンセサイザーとコンピューターの実験を通じ、独特な映像と音声の言語を生み出しました。違いはあるものの似たアプローチとして、スタン・ヴァンダービークは《Panels for the Walls of the World(世界の壁のためのパネル)》において、発見したイメージを蓄積するためにコンピューターを用いて、《Oh! My Mother》において安藤紘平はカメラ・フィードバックをライブで行うことにより、イメージをレイヤー化しました。スタイナ&ウッディ・ヴァスルカの《Decay I》や松本俊夫の《メタスタシス:新陳代謝》では、細胞再生と崩壊を鮮やかに描くシンセサイザーとコンピューターによって有機的な運動過程が模造されています。このような、ビデオというメディアをめぐる広範囲で遊びに満ちた実践が、Moving-Image Artの文法を拡張していったのです。
11タイトル、総上映時間 1時間10分53秒
・Digital Experiment at Bell Labs, Nam June Paik
1966, 4:40 min, b&w, silent
・Computer Movie No.1, CTG
1969, 8 min, b&w, sound, 16 mm film on video
・Electronic Linguistics, Gary Hill
1977, 3:40 min, b&w, sound
・Metastasis, Toshio MATSUMOTO,
1971,8 min, color, sound, 16 mm film on video
・Strobe Ode, Stan VanDerBeek
1977, 11 min, color, sound
・"Image Modulator (Document of the installation)", Katsuhiro YAMAGUCHI
1969(Revised), 0:45 min, color, sound
・"Ooi and Environs (Document of the installation)", Katsuhiro YAMAGUCHI
1977,1:30 min, color, sound
・Mona Lisa, Toshio MATSUMOTO
1973,3 min, color, sound, 16 mm film on video
・Decay I, Steina and Woody Vasulka
1970, 1:57 min, color, sound
・Oh! My Mother, Kohei ANDO
1969,13 min, color, sound, 16 mm film on video
2.拡張する形式 ビデオとフィルムの最も大きな違いの一つとして、ビデオの即時的な再生を挙げることができます。ビデオの登場とともに、アーティストは、カメラ、パフォーマー、そして記録されたイメージとの関係における自己反省的な分析を元に、記録イメージとの関わりを始めました。ジョーン・ジョナスは《左側 右側》にて、彼女自身の再生される映像と共に踊り、鏡像反転した自身の「ライブの」イメージを、「記録された」イメージの中にもたらしました。このコンセプチュアルなビデオはまた、目撃することへの注意を喚起することで、観客へ向けた鏡ともなっています。飯村隆彦もまた《Camera, Monitor, Frame》において、ビデオの基本的な視覚的構成物をめぐる自己言及的な分析をおこないます。このミニマリストによるビデオ作品で、彼は記録されたイメージを構成する3つの本質的な要素を言語的に特定します。ジェイムズ・バーンと山本圭吾の初期作品では、予期しない解剖的な幻影やゆがみをもたらすモニターとともに機知に富んだパフォーマンスを創造する−というような、記録される前のイメージへと向けられた共通するアプローチを見てとることができるでしょう。 9タイトル、総上映時間 1時間17分36秒
Merce by Merce by Paik Part One: Blue Studio: Five Segments, Nam June Paik in collaboration with Merce Cunningham and Charles Atlas
1975-76, 15:49 min, color, sound
Breath No.3, Keigo YAMAMOTO
1977, 6 min, color, sound
Translucent, James Byrne
1974, 2:15 min, b&w, sound
Camera, Monitor, Frame, Takahiko IIMURA
1976, 17:15 min, b&w, sound
Left Side Right Side, Joan Jonas
1972, 8:50 min, b&w, sound
Observer/Observed, Takahiko IIMURA
1975-76, 20min (8:45 min excerpt), b&w, sound
Man and Woman, Takahiko IIMURA
1971, 7 min, b&w, sound
Both, James Byrne
1974, 3:38 min, b&w, sound
Hand No.2, Keigo YAMAMOTO
1976, 7:50 min, b&w, silent
〇オルタナティヴ・メディア:コミニュケーションの変容
1:テレビの解放
ビデオへのアクセスしやすさとメディアとしての新しさは、アーティスト、活動家、小規模な組織や企業のあいだにも同様に、広く関心をもたらしました。アメリカではビデオとテレビは−両方とも、メディアとして、さらに潜在的な上映空間として−本質的にリンクしています。TVTV(Top Value Television)のような団体は、その設立者にして影響力ある『ゲリラ・テレヴィジョン』(1971年)の著者、マイケル・シャンバーグを提唱者として独立テレビプロダクション「ゲリラ・テレヴィジョン」を興します。日本でも同時期のムーブメントとして、例えば「ビデオひろば」という集団は、ビデオを当時の社会的・政治的出来事の記録やそれに対する発言として使用しました。アーティスト達は、ニューヨークの公共放送局WNETから日本のソニーにまでわたる企業によって形成された生成過程の環境を巧みに利用していきました。他のアーティストたちは、より個人的ないし抵抗的な形で、文化的独占状態にあるテレビの地位をゆるがすべく、それを破壊的なツールとして用います。クリス・バーデンは《テレビコマーシャル 1973-1977》において、大手放送局から放送時間を買い取り、夕方のニュースに流れる自分自身のプロモーションのための「広告」を制作しました。ナムジュン・パイクは《コマーシャルを待ちながら》において、日本の3つのテレビコマーシャルから、本来のコンテクストをはぎ取り、それらの奇妙かつ美的な性質を抽出しました。もう一つのパイクの戦略として有名なマグネットをモニターに近づけることでそのイメージを歪ませる手法は、学生運動の映像を磁力によって歪ませた松本俊夫の《マグネティック・スクランブル》にも見てとることができるでしょう。
8タイトル、総上映時間 1時間22分12秒
・Waiting for Commercials, Nam June Paik and Jud Yalkut
1966-72, 1992, 6:35 min, color, sound
・Friends of Minamata Victims- Video Diary, Fujiko NAKAYA 1971-72, 21 min, b&w, sound
・Magnetic Scramble (Document of the Performance from the "Funeral Parade of Roses" ), Toshio MATSUMOTO
1968, 0:30 min, b&w, silent
・Mayday Realtime, David Cort
1971, 59:45 min (8:30 min excerpt), b&w, sound
・Under A Bridge, Video Earth Tokyo
1974,13 min, b&w, sound
・Technology/Transformation: Wonder Woman, Dara Birnbaum
1978-79, 5:50 min, color, sound
・The TV Commercials 1973-1977, Chris Burden 1973-77/2000, 3:46 min, color, sound
・Four More Years, TVTV
1972, 61:28 min (23:06 min excerpt), b&w, sound
2.共有される記憶
マーシャル・マクルーハンがその影響力のある著書「メディア論」(1964)の中で説いたように、文化における技術の進歩はコミュニティの生成の方法を変容させ、その集合的なアイデンティティを形作りました。ビデオの登場は、こういった形での個々人やアーティストたちの形成を可能としました。アーティストもそうでない人々も、自身でポータブルビデオの利点を生かす形で歴史的ないし日々の出来事を記録し始めました。久保田成子のビデオ旅行日記《ヨーロッパ・オン・1/2インチ・ア・デー》は、個人的、文化的な1970年代ヨーロッパとそのサブカルチャーのタイムカプセルであり、中島興による2チャンネルインスタレーション《マイライフ》には、大きな個人的節目と、それが普遍的な祝祭、そして悲劇へとつながってゆくさまが、アーティストの生活の身近な視点において収められています。芸術的、文化的グループは彼ら自身の活動や、彼らの周囲で繰り広げられる歴史的な出来事の記録としてビデオを用い、日本人グループ「ビデオ・インフォメーション・センター」は大野一雄の舞踏のような多くの歴史的パフォーマンスの記録とアーカイヴ、上映における重要な役割を果たしました。
7タイトル、 総上映時間 52分08秒
・Europe on 1/2 Inch a Day, Shigeko Kubota
1972, 30:48 min (8:30 min excerpt), b&w and color, sound
・My Life, Ko NAKAJIMA
1976~92, 22 min (5 min excerpt), b&w, sound
・Ant Farm's Dirty Dishes, Ant Farm
1971-2003, 8:30 min, b&w, sound
・Hello, Allan Kaprow
1969, 4:45 min, b&w, sound
・The Tee Pee Video Space Troupe: The First Years (Part 1), ・Shirley Clarke
1970-71, 4:50 min, b&w, sound
・Old People's Wisdom, Fujiko NAKAYA
1973, 10:30 min, b&w, sound
・La Argentina, Video Information Center
1977, 70 min (5 min excerpt), color, sound」
〇パフォーマンス:行為の記録、身体の記録
1.ビデオと行為
1970年代、ビデオは芸術作品における伝統的な枠組みを疑い、拡張を試みるコンセプチュアルな作家たちにとって重要なツールとして登場しました。フィルムに比べて安価なビデオというメディアが可能にした空間への意識は、しばしば遊び心と冒険心に富んだものとなりました。物体を前提とした作品からの離脱もまた、作品をよりコンセプチュアルな側面へと強めていく方向へと作用しました。ジョン・バルデッサリの《シガール・レキシコン》は、アクションの持続的な反復を通じて物の本質を決定することにより「イメージの辞典」を積みかさねてゆく彼自身のプロジェクトと融合します。アーティストは厳粛に、秩序だったペースを守りながら、葉巻を吸うことの15に分かれた段階を実践しカウントしてゆきます。今井祝雄の《ビデオパフォーマンス 1978〜1984》には、メディアを用いることでアクションを記録するというプロセスにおける機知に富んだ解釈を見てとることができます。パフォーマンスの一つで、今井はピザの写真を撮り、ピザを食べ、その代わりにV字型にカットした写真でパイを再構成します。ウィリアム・ウェグマンの《ミルクフロア》では、予測された振舞いや出来事と実際のそれとの強烈な不一致、あるいは即席のギャグをアイロニックに使用することにより際立ったユーモアを見てとることができます。このパフォーマンスにおいて、ウェグマンは、口からミルクを滴らせ、その後ろでマン・レイと名付けられた彼の犬がそれを舐めています。これに対して、小林はくどうによる《ラプス・コミュニケーション》のユーモアは、次第に破たんしていくコンセプチャルな妄想に寄っており、この場合、一連の模倣されたジェスチャーが、全く意味をなさない動きへと堕落していきます。
9タイトル、 総上映時間 1時間14分00秒)
・Kick the World, Nobuhiro KAWANAKA
1974, 15 min, b&w, sound
・Eat (Document of the Performance), Katsuhiro YAMAGUCHI
1972, 1:30 min, b&w, sound
・Semiotics of the Kitchen, Martha Rosler
1975, 6:09 min, b&w, sound
・Digest of Video Performance 1978-1983, Norio IMAI
1978-83, 15:35 min, color, sound
・Aspen Projects/Compression-Fern (Face), Dennis Oppenheim 1970, 5:22 min, color, silent
・Selected Works Reel 1, William Wegman
1970-72, 30:38 min (8 min excerpt), b&w, sound
How We Do Art Now: Episode V, Cigar Lexicon, John Baldessari 1973, 12:54 min (6 min excerpt), b&w, sound
・Lapse Communication, Hakudo KOBAYASHI
1972(Revised 1980), 16 min, color, sound
2.身体の記録
単なるパフォーマンスの記録を超えて、アーティストはしばしばビデオを身体的、情動的身ぶりを拡張するためのものとして用いてきました。ユニークなビデオの技術的可能性により、パフォーマーにとっても記録における構成と美意識の操作が可能となりました。《アニムスU》で出光真子は、映像の重ね合わせによってユングのコンセプトにおける女性心理の中の男性的側面を視覚的に表象し、同様にジョーン・ジョナスの《オーガニックハニーの垂直回転》では、着飾ることやジェンダー的な役回りの問題に焦点をあてています。着物をまとい、人形のマスクをつけて、アーティストはあからさまに女性的なシンボルを用います。別のパフォーマンスでは、ビデオモニターの「受動的な」空間に対し、強烈な挑発を投げかけます。村岡三郎、河口龍夫、 植松奎二による 《映像の映像−見ること》では、アーティストはテレビモニターに対して意図的に干渉し、やがて破壊してゆき、この破壊の記録は日本のテレビで放送されました。ポール・マッカーシーは作品制作における最も重要なツールとしての彼自身の身体を用いて、カメラのフレーム内で攻撃的なアクションを行います。あるパフォーマンスでは、彼は自身を引きずりまわし、絵具缶のふたを開け彼のスタジオの床にぶちまけ、別の作品では絵具で汚れた大きなシーツの上で自分のスタジオの壁や柱を暴力的にむち打つパフォーマンスを行っています。
8タイトル、 総上映時間 1時間1分37秒
・Flour/ Breath Piece, Vito Acconci
1970, 3 min, color, silent, Super 8 film on video
・Black and White Tapes, Paul McCarthy
1970-75, 32:50 min (5 min excerpt), b&w, sound
・Image of Image Seeing, Saburo MURAOKA, Tatsuo KAWAGUCHI, and Keiji UEMATSU
1973,12:30 min (11:20 min excerpt), b&w, sound
・Organic Honey's Vertical Roll, Joan Jonas
1973-99, 15:15 min, b&w, sound
・What a Woman Made, Mako Idemitsu
1973, 10:50 min, b&w, sound
・Pinchneck, Bruce Nauman
1968, 2 min, color, silent, 16 mm film on video
・I Am the Light, Ante Bozanich
1976, 3:57 min, b&w, sound
・The Recognition Construction, Morihiro WADA
1975,20 min (10 min excerpt), color, sound